
─表参道のLOTUSにはじまり、ハロッズ・ブロンプトン、クロエカフェなど、これまで数々の話題の店舗をプロデュースされていますが、基本となるアイディアはどのようにして生まれるものなのでしょうか。
山本氏 まず、会議から生まれることはありません。会議で決めると、そこにいる人だけの公約数がベースになってしまう。もちろんインテリアとかグラフィックとか、専門分野の担当者との意見のキャッチボールは行ないますが、大枠は僕が判断しています。
─空間プロデューサーという職業は、クリエイター志望の若者にとって非常に魅力的かつ憧れの存在だと思いますが。
山本氏 空間プロデュース、という名の仕事をしている意識はありません。確かに、マスコミなどにもてはやされた時期もあったけど、そういうノリは正直、僕にはよく分からない。何らかのプロデューサーではあるけど、肩書きなんて、あって無いようなもの。喫茶店のマスターにもなるし、食堂のオヤジにもなる。我々の提案がどこに反映されるかによって、肩書きは変わると思います。結局最後は人と人。ありがたい、と思ってくれる方がいて、はじめて成り立つ職業ですよ。
─自分の作品が相手に受け入れられるかどうか、ということについて、苦労や不安はありませんか。
山本氏 世の中に受け入れられることより、自分が受け入れられるか、ということの方が重要。自分が食べたくもないものを、珍しいから、という理由だけで世に出すのはおかしいでしょ?まず自分がその作品のことを好きにならなくては。
僕らの世代って、バブルがはじけた後の世代なんです。バブルが終わってお金は無い、でも何かしなくては、という環境の中で育って来たから個性的で変態なヤツが多い(笑)。師匠も先輩もいない分野だったし。でも不思議なもので、そんな時でもちゃんと見て下さっている人がいて、クライアントを見つけて来てくれる。僕はビジネス的な感覚はあまりなくて、自分のやりたいことをやってるだけなのに、よく見つかるなァと思いますネ。
─自分の手で自分の生きる道を切り開いて来た山本さんから見て、最近の若いコたちはどのように見受けられますか。
山本氏 見た目は派手そうだけど、思考は結構コンサバじゃないかな。もっと若い人が活躍するようになれば僕らの役目は終わるのに、そうならないのはやっぱりどこか保守的なんでしょうね。僕らはオトナの言うことは聞かなかったし、いろんなことに対してアンチだった。情報の集め方だってそう。憧れるものは色々あったけど、当時はそれを手にするには自分で努力するしかなかった。今は情報誌に色んなモノが載ってて、下に値段と問い合わせ先があって、コレを買えばこんなライフスタイルが演出できますヨって、すごく親切……というか、おせっかい。お金さえあればすべてが揃ってしまう。僕らの時代はお金では買えない、値段の無い情報がたくさんあった。だから、それを得るための想像力や強い欲求が生まれたんだと思う。
─ビジネスにはあまり関心が無いとのことですが、仕事における醍醐味は。
山本氏 新しくお店がオープンする時は、やっぱり嬉しいですよ。そこが話題になって、いろんな人が来てくれるようになるのも嬉しい。ああ、受け入れてもらえたんだな、と。でも、僕の役割はそこで終わり。お店は生き物。そこから先は作った箱(お店)と人(お客さん)が科学反応を続けて行くだけ。僕の仕事はゼロの状態を1にすること。つまり、何もなかったところに一つのカタチを作ること。1から10、100へと増やして行く方法は、そのお店側が考え
山本 宇一
都市計画、地域開発等に携わった後、「もっと人の顔が見える仕事を」と飲食業に転身。オーナー兼プロデューサーとして、1997年にバワリーキッチン、2000年にロータスをオープンさせた。最近では新丸ビル「丸の内ハウス」を総合プロデュースの他、立川「PAPER WALL CAFE」、原宿「mother kurkku」。そして、昨年11月に九州初、福岡にて「COMMENT ALLEZ VOUS(コマンタレブー)」のプロデュースを手掛けた。